自然体
   
   
2008/05/06
   
   
こんばんは。

今日、息子のソフトボールチームの近隣のチームが出場する
大会があったので、息子と一緒に見学&応援に行ってきまし
た。

ちょうど、地元で有名なピッチングのコーチがいらっしゃっ
ていて、空き時間に息子に教えていただきました(息子もピ
ッチャーをしているんです。まだ控えですが)。

その中で、そのコーチの方がおっしゃった、印象的なひと
言。それは・・・

「大事なのは、無駄な動きをしないこと。無駄な動きをしな
ければ、筋肉が一番スムーズに動くように、人間の体はでき
ているんだよ」。

確かに、人間、力むと無駄な動きが出てきて、ぎこちなくな
ったり、バランスが悪くなったりします。
力を入れれば入れるほど、動きも遅くなりやすい。

反対に、力が抜けると、動きがシンプルになり、滑らかにバ
ランスよくなります。
スピードも上がりやすい。

ソフトボールのピッチングは、いわゆる「下投げ」なのです
が、ちょうど肩から腕をグルッと回して投げます。

ちょっと実験(体験)してみましょう。

まず、腕をグルグル回してみてください。
下投げの要領で、後ろから前にグルッと回し、それを連続さ
せて、グルグル回します。
何回も、大きく、グルグルと。

どうですか?できましたか?

たぶん、ほとんどの人は、グルグル回している時、ひじが伸
びて、腕には力が入っていなかったんじゃないでしょうか。

では、今度は、まず腕にグッと力を入れて、ひじを曲げて、
腕をグルグル回してみてください。

どうですか?

おそらく、さっきよりも、回転が遅くなったんじゃないでし
ょうか?

さっきよりも力を込めて、一所懸命回しているはずなのに、
スピードが遅くなったはず。
回しにくいし、疲れやすくもなったのではないかと思いま
す。

これが、力が抜けた状態と力んだ状態との差です。

前者は、無駄な動きがなく、スムーズに動く(回る)。
後者は、無駄に力を使い、動きが悪くなる。

コーチの指導を受けて、息子のピッチングは、力みが抜け、
腕がきれいにスムーズに回り、スパーンと伸びのあるボール
を投げられる確率が上がりました。

ワンポイントレッスンなのに、さすがです。
ありがたい機会でした。

そのあと、ふと思いました。

「力み=無駄な動き」というのは、いわゆる「我」が生むも
のなんじゃないか、と。

こうしてやろう、ああしてやろう、という思い(作為)が強
すぎると、つまり、我が強すぎると、知らないうちに、「力
み=無駄な動き」につながってしまう。

さっきの腕グルグル実験でもわかるように、一所懸命になれ
ばなるほど、力を込めれば込めるほど、かえって意図とは逆
の結果につながりやすい。

つまり、結果を求めて我が強くなれば強くなるほど、求める
結果は遠ざかる、というわけです。

武道でも、達人や名人というのは、無駄な動きが一切ないわ
えですが、それはまさに、「無我の境地」において出現する
と考えられます。

それは、「自然体」の状態であるとも言われます。

我=作為=力み=無駄な動き=不自然な動き。
無我=無作為=脱力=無駄のない動き=自然体。

こんな対照関係が、浮かびました。

名人や達人にならなくとも、そういうことを感じ取ることの
できる機会は、日常の中に結構あるんじゃないでしょうか。

たとえば、酔っ払いは、転んでも、意外とケガをしない、と
言われますよね。

あれなどは、ある意味、無我の脱力状態にあるから、と見る
こともできます(でも、飲みすぎにはご注意^^)。・

ビギナーズラックなんていうのも、あまりわけわからずに、
無作為にやるところに生まれるわけですから、ある種、無我
の自然体になっているということなのかもしれません。

何かを意図して、一所懸命に取り組むことは、もちろん素晴
らしいことです。
それを否定するつもりは、全然ありません。
むしろ、そうやって熱くなることも、人生を充実したものに
してくれる大事な場面の一つです。

でも、それが、強い我となって出てしまうと、どうもうまく
ないようです。

人間は、自然の存在ですから、やはり、自然体というのが、
結局最もパフォーマンスも上がるみたいですね。

自然体、自然体・・・

おっと、あまりに自然体を意図しすぎるのは、自然じゃあり
ませんよ^^。

   
   
   
   
Copyright : Ryo Takashima