不守
   
   
2008/05/26
   
   
おはようございます。

40歳は、「不惑」の年と言われますね。
論語の「四十而不惑(四十にして惑わず)」から来ていま
す。

僕も、去年40歳になったとき、何人かの友人から、「不惑
だね」と言われました。

でも、惑わずなんて、とてもそんな境地ではありません。
孔子さんのようなわけにはいきませんね。

それよりも、40歳だからといって、落ち着き過ぎたり、老
け込んだりすることなくいきたいと感じました。

もともと自分を守りに入りやすいので、40歳を機に、守り
に入らず、ガンガン攻めて、悔いのないように一日一日を生
きよう、と思ったのでした。

そこで浮かんだキャッチフレーズが、「不守」。

「四十而不守」。
なかなかいいでしょう?

さて、その後、“不守の40歳”を生きているかという
と・・・

トホホ、守っちゃいますね、やっぱり。
「うまくいかなかったら、どうしよう?」
「こんなことやって、人から何と言われるだろう?」
「こんなバカげたことやって、大人気ないんじゃないか?」
内なる常識的な声が、守りに入れ、守りに入れ、と急かして
くることが多々あります。

確かに、守りに入ったほうが、一見、安全なんですよね。
でも、本当にそうだろうか?
あくまで、“一見”かもしれない。

後になってみれば、守りに入ったことで、人生の大きな楽し
みを失うというリスクや損失を選んでいた、と気づくかもし
れない。
後になってみれば、不守で行動したことで、人生の大きな豊
かさや納得を味わうことができた、と満足するかもしれな
い。

と思って、少しずつ、不守の選択、不守の行動を増やしてい
るところです。
少しずつ、少しずつ・・・

さあ、今日は、どんな不守でいきましょうか。

   
   
   
   
Copyright : Ryo Takashima