使うということ
   
   
2004/06/15
   
   
今朝、久しぶりにジョギングをしました。
今年の4月から、口ぐせ理論の佐藤富雄さんを見習って、朝ジョギ
ングと四股踏みを始めたんです。

これがまた、気分爽快でいいんですよね~。

ところが、ゴールデンウィークでだらけた日々を送ってしまったの
がまずかった。
そこで習慣化の糸がプッツリと切れてしまい、生来の怠けぐせ、三
日坊主体質がむくむくと起きだしてしまったのでありました。
あな悲し。

でも、実は四股踏みは結構続けていたんです。
かれこれ2ヶ月強、毎日というわけではありませんが、ヨイショヨ
イショと踏んでいたわけ。
すると・・・
結構足腰の筋肉が、いい感じで付いてきたみたいなんですね。
筋もピッと入って、形もなかなかグー。
(わ~、これじゃただのナルシスト!?)

で、気づいたこと。
筋肉は、使ってあげると発達する。

あたりまえですよね。
発見というほどのことはない、常識です、はい。

でも、それって筋肉だけなんでしょうか?

講演をする人は、話すという行為を通じて、口と頭(や表情も)を
使っている。使えば使うほど、口も頭も発達し、講演もうまくな
る。

その他、専門を持っている人、職人さんもそうだと思います。
いやそんな特別なことじゃなくても、みんな日々の中でそうやって
使って発達させているものっていっぱいある。

じゃあ、なぜ使うと発達するというふうになっているのでしょう
か?

僕は、「使う」ということは「存在を認める」ということだからだ
と思います。
存在とは、認められたときに、存在となる。
だから、存在するものは、認めてあげて、使ってあげるのが、理に
かなっているんだろうなと思うんです。

   
   
   
   
Copyright : Ryo Takashima