自分を信じる(1)
   
   
2002/09/19
   
   
先日(9月8日)、朝早く起きてテレビをつけると、テニスの試合
をやっていました。「US(全米)オープン」というとても大きな
大会の試合です。
ちなみに、テニスにも4大大会というのがあって、全豪、全仏、全
英、全米の4つがそれに当たります。

その試合は男子シングルスの準決勝で、レイトン・ヒューイットV
Sアンドレ・アガシ。ヒューイットは弱冠21歳ながら現在の世界
ランキング1位の選手、昨年の優勝者でもあります。
対するアガシはかつての世界ナンバー1、でも今や32歳のベテラ
ン。

この新旧ナンバー1対決は、その名にふさわしいハイレベルの内容
でした。
両者ともガンガンのストローカーで、壮絶かつ精度の高い打ち合い
を展開。若きチャンピオンに、「そう簡単にお前の時代にはさせな
いぞ」と今なお実力十分の老兵(失礼!でもテニス界ではそうなの
です)が立ちはだかる・・・そんな風にも見て取れます。
とにかくワンポイントワンポイントが真剣と真剣のぶつかり合い。
すさまじいラリーが続くのを2万人余の観客がジッと固唾を呑んで
見守ります。ポイントが決まるとものすごい拍手と歓声。この繰り
返しが重ねられていきます。

中でもとりわけ緊張感がグッと高まったポイントが決まったところ
で、解説の松岡修造さんが放った一言が僕の心にビビビッと響きま
した。
「こういうものすごい試合を決めるのは、自分を信じきれるかどう
かなんです。自分を信じきれなくなった時、流れは一気に相手に傾
いてしまうんですよ。」

“自分を信じる”・・・これは、これは、なんと重要な!

確かに自分の経験(学生時代にテニスをしていました)を振り返っ
てみても、自分に自信が持てる時はいいプレーができ、心に不安の
ある時やビビリが入った時はミスを連発したり、自滅したりしたも
のです。
あの当時は、これを、自分の技術についての自信とかその日の調子
についての自信の度合いによるんだな、と思っていました。
しかし、この日の松岡さんの一言からは、さらに深い部分での“信
じる”に気づかされました。文字通り、“自分をそのまま信じられ
るかどうか”だと。
よく「勝負とは、自分との戦いだ」と言われますが、この言葉もそ
のあたりを表しているのかもしれません。単に技術的なことだけで
はなく、自分という存在そのもの(ちょっと大げさかな?)にOK
を出し続けられるかということ。勝負というのは、もちろん相手と
の駆け引きもありますが、根本のところでは、自分を信じることが
できるかどうかで決まる。

これは深くうなずける話です。そして、勝負以外の場面でも同じこ
となのではないかと思いました。
普段の毎日でも、「あ、この人は素晴らしいな」とか「素敵だな。
輝いているな」とか「一緒にいると楽しくなるなあ」という人っ
て、多分例外なく“自分を信じている人”ですよね。そう思いませ
んか?もちろん、「ゼッタイ自分が1番だ」という天狗的な自信と
は違いますよ。もっとこう、穏やかに淡々としかも強く「自分はO
Kなんだ」と自分自身を包んでいる感じ。

僕自身はというと、常にその状態にというのとは程遠いところにい
ますが、時々そういう自分になれることもありますし、周りにはそ
んな素敵な人たちがたくさんいます。
テレビの中のヒューイットとアガシも、素晴らしくその状態
を保っていました。だから試合も本当に素晴らしいものになった。
身をもっていい手本を示してくれていました。もっとも、本人たち
は試合に集中していただけだと思いますが。

ものすごく貴重な示唆をもらったなあ、と一人満足しながら、その
日から始まる「シンデレラツアー」(“3日間で美しく生まれ変わ
る”というぷれし〜どとっておきのツアー。まさに、“自分を信じ
られる自分になる”旅です)へと出かけたのでした。
(テレビ観戦に夢中になって支度が遅れ、集合時間に遅刻してしま
いましたが・・・)

試合は、最後まで自分を信じ続けた老兵アガシが、セットカウント
3−1で勝ちました。

   
   
   
   
Copyright : Ryo Takashima