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ありがとう事例

2005/01/23

さとるさん
( 東京都 男性 33才 )
すごい真理を発見しました!
ちょっと読みにくいかもしれませんが私の「ありがと う」研究体験談をストーリーっぽく書いてみたので読ん でみてください。 半年ほど前から「小林正観ワールド」にハマッていま す。 “唯物論”とありがとうの“奇跡”という言葉に惹か れ1人でいる時に声に出して「ありがとうありがと う・・」と気持ちを込めずにブツブツ言い始めました。 25000回言ったら本当に膨大な量の涙が出て潜在能力が 50%も開発できるのか、興味本位で確かめることにし たのです。 最初はただひたすら「ありがとうありがとう・・」と何 も考えず沢山言っていただけだったのですが数えてる わけではないので何回言ったかわからなくなり東急ハ ○ズへ行きカウンターを購入し手でカチカチとカウン トしながら言うことにしました。 25000回言い終わる前に五戒を言ってしまうとリセット されるということなのでドキドキワクワクしながら1日 で一気に25000回言ってみたりもしましたが涙は出ませ んでした。 五戒を言わず1日で一気に言ってもだめなのか、1日 1000回×25日間+日常の会話が必要なのか、といろい ろ考えたり、読みもらしてる留意点があるのかと小林 正観さんの全部の本を片っ端から読み直しましたが特 に問題はないように思いました。 「ありがとう」を1人でいい続けるのはトイレ掃除よりも ちょっとしたエネルギーを使うのでちょっと疲れて一 時やめていましたが、どうしても“奇跡”という言葉 が気になりまた「ありがとう」を言いながらカチカチや ることにしました。夏は家で高校野球を観ながらビー ルを飲みながらカチカチ・・、海に行って浜辺で日焼 けをしながらカチカチ・・、秋から冬は昼に目が覚め たらそばに置いておいたカウンターを手に取ってふと んの中でカチカチ・・・。年齢×10000回を目指して1 日2000回~3000回に落ち着きカウンターは4桁までなの で10000回に到達したら日にちと時間と累計回数をノー トにメモするということにしました。 今現在で300000回ぐらいなのですが最近は自分の中で ちょっとした異変!?を感じるように なりました。それは自分の好きなアーチストのコンサ ートに行ったりDVDを見たり聴いたりしている時にその アーチスト(人)に対してなぜか心の底から「ありがと う」と思い、自然に涙が出てきた、ということが3、4回 ありました。少しは魂と繋がったのか!?という感じで した。 しかしここまでは序章にすぎませんでした。 私は小林正観さんの「人生はシナリオ通りで未来は確定 している」という言葉が半年前からすごく気になってい ました。なぜかというと自分の過去を辿ってゆくと1つ のストーリーっぽくなっていて確かに繋がっていると いえば繋がっている。だけど、後からくっつけた話な のでは・・などといろんな思いがこみあげながら半年 ほど過ごし確信めいたものはありませんでした。 そして、最近そのシナリオは決まっている=自由意志 はない=運命はかえられない(一般的にいうと)とい うことを決定させる絶対的な真理に気づきました。 それは・・・ 私は夜、飲食関連のチラシ配りの仕事をしているので すがその仕事というのはある特定の場所に自分が立っ ていて“向こうから”歩いてきた人にチラシを差し出 すという、よくあるあの仕事なのですが、私の場合は チラシを渡すだけでなくその人を自分のお店まで連れ てゆくというのが目的なのです。 こちらに歩いてくる人にひたすら声をかけチラシを差 し出しのですがお店まで来てくれる人とまったく無視 して通りすぎてゆく人がいます。またそこに立ってい ると別の店の同業者がお店忙しいですか?等と声をか けたりもしてきます。“向こうから”人がやってくる のです。 お店まで来てくれる人(“向こうから”来る人)をこ ちらで選べたらいいな、なんて思ったその時、ふと思 いました。もしかして・・・ 頭の中にポンとインスピレーションといいますかひら めきという感覚を感じ、頭をハンマーで殴られたよう な強い衝撃を感じました。 小林正観さんの『宇宙が味方の見方道』のP83、(自由 に選ぶことができたのだろうか) という文章を思い出しました。 ここでポイントとなるのが潜在意識(自分の中にいる もう1人の自分)です。 いわゆる無意識というやつですが“今”は、目の前に あることを“意識”してできます。 人間は普通1度に1つのことしか考えられないので例え ば、今この文章を読んでいる時は、 けさ観たはなまるマーケットで特集していた上手な収 納の仕方や1週間前に彼氏と観に行った映画の内容や明 日の晩御飯は何にしよう、等と考えていないはずで す。 『お金と仕事の宇宙構造』のP72、(ただ、今、目の前 に存在する~刹那主義~念を入れて生きる)と繋がりま す。 “今”を意識しているということは“5分後”のことを 考えていない、5分後は無意識という状態です。という ことは“今”から見た“5分前・・・”から見た“5分 後”の“今”も無意識にやっているということになり ます。さらに1時間前、1ヶ月前、1年前、20年前と遡っ てゆくと意識してやったものごとは何もないのではと 思います。さらに遡り産まれた時、お母様のお腹から 出てきた時に“意識”して「オギャーっ!」と言ったで しょうか?その後数週間後に“意識”して「オムツ取り 替えて~!」との意味で泣いたりしたでしょうか?たぶ んできなかったはずです。過去は意識して何かをでき なかった。とすると未来も意識してできない、という ことは一生死ぬまで無意識状態(選べない)で生きて いるということになります。今、自分でやっているこ とはぜんぶ無意識にやっている=潜在意識(魂)に操ら れているということになります。自分では何も選択で きない。『幸せの宇宙構造』のP188、(全自動“選択” 機)に繋がります。 例えば1週間後の金曜日の夜に男女の楽しい集い!?の合 コンがあるとします。 人数はお互い4人ずつで4:4です。その時に来る4人の 男性を日本にいる 5千万人の男性の中から選ぶとこができるでしょうか? 待ち合わせの時間になり会ったことが1度もない人達が “向こうから”来ました。人数も揃い予約していたお 店に行き楽しい合コンは始まりました。 さて、楽しい合コンも終わりお互い連絡先を交換して 帰りました。 翌日、前の日に合コンで知り合ったある1人の男性から デートの誘いの電話が来ました。合コン中に飲みすぎ て取り乱してしまい、私たぶん嫌われちゃったから絶 対連絡こないわと思っていた1人の女性は私に連絡なん か来るわけないと思っていたのでびっくりしました。 「あれっ、なんで私に電話が来たのっ?」全く“意識” していない状態だったので“向こうから”きた出来 事、事実、運命にびっくりしながらも喜んでいまし た。 その後デートを重ね仲良しになった2人はやがて結婚し 新居を探すことになりました。 欲深で妥協することを知らない2人は何件も不動産屋を 回りましたが望んだ条件を満たす物件はなくいい物件 があったら間取り図をFAXしてください、とお願いし少 し様子を見ようということで落ち着きました。 数日後、連絡先を教えておいた女性の家にこんな物件 はどうですか?と1枚のFAXが “向こうから”来ました。ようやく望んだ物件にあり つけた2人はそこのマンションに住むことができまし た。 また・・・ ある人が「明日の夕方6:00に池袋のサンシャイン60に行 く」ということを選択したとします。五反田から池袋ま では電車で30分位なので30分前の5:30に五反田駅に行 き電車に乗りました。そのまま電車に乗っていれば間 違いなく予定通り6時に池袋に着くはずですが 渋谷駅あたりで車両故障があり電車が止まってしまい ました。復旧までは以外に時間がかかり電車内で15分 も待たされることになりました。安全の確認が取れた 15分後電車は再び動きだしましたが6:00時にサンシャ イン60に着くことはできずに6:15に着きました。 この中で「電車が渋谷駅で止まる」という思ってもみな かった出来事、事実が“向こうから”来ました。「6:00 に池袋に着くことができなかった」という出来事、事実 が“向こうから”来ました。 この2つの話と潜在意識とシナリオの話を結びつける と・・・ 魂が自分の体に入っているということなので自分の目 が魂ということにして、その魂から見た自分の足(体) は“今”、“ここ”にあります。 ・家の台所に立っている時に自分の足を見た時に自分 は“今”、“ここ”にいます。 ・駅のホームに立っている時に自分の足を見た時も自 分は“今”、“ここ”にいます。 ・会社での朝礼中に自分の足を見た時も自分は “今”、“ここ”にいます。 ・札幌に行き時計台の前で自分の足を見た時も自分は “今”、“ここ”にいます。 ・タイのバンコクに行き王様の看板の前で自分の足を 見た時も自分は“今”、“ここ”にいます。 一見、自分達は自分の足で前に歩いてあちこちに移動 しているようにみえますが実はそれは大変な錯覚で 人、もの、出来事、事実というのは、じ・つ・ は・・・、すべて“向こうから”やってきている、と いうことです。小林正観さんはこれを本の中で、「降っ てくる」、「返ってくる」、「起こる」といっています。ま さに「宇宙の法則」の本質です。 例えば街で信号が青になり道路標識に向かって歩いて いるようにみえるが実は自分が前に進んでいるのでは なく道路標識が“向こうから”歩いてきてる。 いつ、どこにいようが実は“自分”は“今”、“た だ”、“ここ”にいるだけなんです。 自分はいつもここにいるだけで地球のほうが勝手に回 ってる。 心は時間も空間もない宇宙にあり、体はこの地球にあ る。 例えるならルームランナーにずーっと乗ってる状態で しょうか。 足は動いてるけど前には進んではいない。人、もの、 出来事、事実ぜんぶが“向こうから”やってきてい る。真実とは逆に見える。最新刊『究極の損得勘定』 のP170、(『般若心経』の一節に「遠離一切顛倒夢想」 ~)というのはこのこともいっているのではないのでし ょうか。 結局、人、もの、出来事、事実はすべて選べない。 合コンに来た人、向こうから来た誘いの電話、そこに いた不動産屋の人、そこから来た物件、その物件(家、 建物)がそこに存在したという事実、今やっている自分 の趣味、さらにその趣味を教えてくれた過去の友人、 テレビをつけたらやっている番組、今日、面接に行っ た会社の面接官、今やっている映画、今日の天気、駅 で電車が走ったという出来事・・・ など自分で選べたものごとは何もないということで す。 今の自分のまわりの人、部屋に置いてあるもの、親、 さらにその子孫、恋人と知り合うきっかけを作ってく れた友人の友人の子孫、好きなアーチスト、芸能人と その子孫、そのアーチストが使っている楽器を考えて 作った人とその子孫、音楽を聴く時に使うオーディオ 機器を作った人とその子孫、スピーカーから聞こえる 美しいメロディーの音という目に見えない存在、今住 んでいる家を紹介してくれた不動産屋の担当者とその 子孫、FAXから流れてきた用紙を作った人とその子孫、 その用紙を作る際に元になった木(植物)、住んでいる 家をここに建ててくれた人、いつもきれいな姿を楽し ませてくれる美しい熱帯魚、観葉植物など・・身の回 りのものすべてがなかったら自分は今ここに存在して いないことに気づきました。自分は本当に見事に何も やっていない。『宇宙が味方の見方道』のP175、(「ま ったく関わってない」~0%だ)どの文章に繋がりまし た。 動物、植物、鉱物、天体、また、目に見えない音や光 すべてのものに支えられて生きているということで す。イメージ的には常にピラミッドの上から出ている 噴水の水に持ち上げらているといった感じでしょう か。 去年10月の安与ホールでの講演で小林正観さんが言っ てた「水があって、コップがあって、机があって、床が あって、大地があって」という話の意味を完全に理解 し、『宇宙方程式の研究』のP116、(そのあたりにあっ たコップ、皿、机、箸などの1つ1つがすべてお母さん に向かって「ありがとう」と言っています。)との文章に 繋がりました。 このことに気づいた次の日、自然と涙が出てきまし た。バスタオルは必要なくティシュ3枚分くらいでした がそのティッシュで涙・・・ではなく鼻をふき取りま した。その時に自分は今まで何をやってたんだろうと 思うと同時に自分は今、なんて幸せなんだろうと心の 底から思いました。『生きる大事・死ぬ大事』の P144、(オセロゲーム)のように一瞬にして過去の人生 がすべて白にひっくり返りました。こうしちゃいらん ない、と思い生きている間できるだけ周りの人を喜ば せてあげたいと思いました。 最終的にシナリオを受け入れて楽にはなったのですが 今まで自分は神とか、宗教とかは一切受け付けず一般 的、常識的な思考回路だったので頭がおかしくなった のかと思ったり、やっぱり人間は操り人形で4次元の存 在に支配されているのか、と改めて考えてみたり、ち ょっと気持ち悪くなったり妙な幸福感を感じたり、起 きていても夢を見ているような感覚もあり(シータ波の 領域に入ったか!?)妙な違和感がありちょっと複雑な気 持ちでもあります。 ただ良い脳!?(考え方)になっているのは間違いないと 思うので 引き続き「ありがとう」を言い続けようと思ってます。 長々と失礼しました。 最後までお読みいただきありがとうございました。

>>>力作のご報告、ありがとうございます。「ありがとう」を通して、いろいろな気づきと変化があったんですね。これからも、たくさん「ありがとう」を重ねていってください。