劇的な役回り
   
   
2009/02/04
   
   
こんにちは。

芝居には、いろいろな人が登場しますね。

主人公、家族、友だち、味方、敵、善人、悪役・・・

シナリオが決まっていて、それぞれに役回りがあり、セリフ
もあり、動き方も決まっている。
それらが全部合わさって、1つの芝居が進行していきます。

それぞれに意味があり、すべてがそろってはじめて、1つの
芝居が完成するわけです。

ところで、悪役は、本当に悪い人でしょうか?

たしかに、芝居の中では、悪い人かもしれません。

でも、それを演じている役者本人=悪い人、ではないでしょ
う?

逆に、善人は、本当に善い人でしょうか?

善人を演じている役者=善人、という図式が必ずしも成り立
つとは限りませんよね。

あくまでも、役回りであり、演じているにすぎないのですか
ら。

さて、ここで。
もし、この世で起きていることが、芝居だったとした
ら・・・

現実は芝居とは違う、と普通私たちは思っていますが、
もし、その現実と思っているもの自体が、「宇宙劇団」の上
演している芝居だったとしたら・・・

悪役は、本当に悪い人でしょうか?
善人は、本当に善い人でしょうか?

もしかしたら、それは、演じているだけかもしれません。
本人も知らないところで。

そんなふうに見てみると、
「自分は○○だ」
「あの人は○○だ」
とレッテルを貼ったり、こだわったりしなくてもよくなるか
も。

芝居なんだから。
しかも、無意識の演技なんだから。

見方が、“劇的”に変わりませんか?^^

   
   
   
   
Copyright : Ryo Takashima