足るを知る
   
   
2002/08/17
   
   
おととい、何気なくチャンネルを回す(もうこういう言い方
はしない!?)と、NHKで加島祥三さんという英文学者の
インタビュー番組をやっていました。
どうやら、『老子』について語っているようです。

その語りの一節に僕はググッと引きつけられました。

「足るを知る」。
竜安寺の「知足のつくばい」などでもよく知られている言葉
ですね。もっともっとと足りないものを求めるのではなく、
今すでにあるものでよし(足る)とするという考え方です。
(外側の)環境や出来事・現象を自分の望み通りに変えるこ
とで満足しよう、幸せになろうとする“西洋的”解決法に対
し、“東洋的”な解決法として、自らの心や見方を変えるこ
とによって(仮に現象がどうであろうと)幸せになれるとい
う考え方がよく挙げられますが、「足るを知る」は後者の代
表と言っていいでしょう。

加島さんもこんな風におっしゃっていました。
「足るを知るということは、今のままでいい、もうそれ以上
のものは何もいらないという風になることなんだ。その心に
なって、貧しくつつましく生きていくのがいい」

ああ、やっぱりそうなんだろうな、よく言われる解釈と同じ
だな、と思ったその瞬間・・・
僕は次の加島さんの言葉に釘付けになりました。

「という風に今までは考えられてきたんだけど、老子が言っ
ているのは、そういうイメージとは違うと僕は思ったんだ
よ。足るを知るっていうのは、そういう縮み思考じゃなく
て、今のままの自分でいいとまず認めて、その上で、その自
分がやりたいことを存分にやるっていうことなんだ。それ
は、本当の自分が望むことに打ち込むという、とてもエナジ
ーに満ちた状態のことだと思うんだよね」
「そうなれば、他の人と比べたり競ったりする必要なんかな
くなるんだよ。自分自身にエナジーが満ちているんだから」

僕自身、「足るを知る」という言葉は、無意識のうちに、加
島さんの言う“縮み思考”的なとらえ方をしていました。
「多くを望まず、少ないものに感謝しながら、つつましく生
きるのが、人間として正しい生き方なんだ」という一種道徳
的な“しばり”が自分の中にあったかもしれない。別にその
とらえ方が間違いだった、と言うつもりはありません。で
も、僕にとっては正直、何かしっくりこなくて、天井に頭が
つっかえるような窮屈さを感じていたのでした。

それが、加島さんの解釈を聞いた時、スポーンと目の前の霧
が晴れるようなスッキリ感が訪れたのでした。

「今の自分のままでいいとまず認めて、その自分がやりたい
ことに打ち込む」

なんと力の湧いてくる言葉でしょう!なんとしっくりくる感
覚でしょう!きっと老子もそういうことを言ったのに違いな
い、と一人合点がいったのでした。「無為自然」というこれ
また老子の言葉からイメージされる、「自らの内から湧き上
がってくるエナジーを解放する」奔放さ、ダイナミックさ、
自由さも連想させてくれます。「足るを知る」が、僕の中で
とてもふくよかに広がった瞬間でした。

さて、今のこの自分が本当にしたいことは・・・

   
   
   
   
Copyright : Ryo Takashima