成長(2)
   
   
2008/04/11
   
   
こんにちは。

昨日の続きです。
本当に、「成長しなければいけない」のでしょうか?

「諸行無常」という言葉があるように、物事は常に変化し、
移り変わっています。

「宇宙の不変の原理は、『不変のものはない』ということで
ある」と言えるほど、すべての物事は、もちろん人生も、変
化しているわけです。

そういうこともあってか、「変わること」は良しとされ、
「変わらなければならない」ということもよく言われます。
それも、「良い方向に、目に見えて変わること」が求められ
る。

それを、「成長」というわけです。

が、「良い方向に」というのは、何をもって「良い」と見る
のか、実は簡単には
言えないところです。

たとえば、仕事で昇進したとする。
収入も上がり、人脈も増え、仕事の領域も広がります。
人の見る目も変わるでしょう。

一見、というか、一般的には、「良い方向」に行っているこ
とになります。
当然、成長していることにもなります。

でも、もしかしたら、昇進したがゆえに、仕事がハードにな
り、体調を崩し、病気になってしまう、早死にしてしまう、
ということもあるかもしれません。

そうしたら、昇進が良いことだったのかどうかは、ちょっと
判断の難しいところです(もっとも、同様に、病気や早死に
が「悪い」というのも、言い切れないことですが)。

つまり、「成長しない方がよかった」「成長しなくてよかっ
た」というケースもあり得るわけです。

だから、「成長しなければいけない」「成長することが良い
ことだ」とは限らないということになります。

それに、私たちは、仮に日々何もしなくても、確実に年をと
っています。

特に、何かのスキルがアップしたり、収入が増えたりしなく
ても、日々生きているだけで、何かを積み重ねていることに
なります。

子どもは、見た目にも大きくなっていくので、「育っている
な」「成長しているな」というのがわかりやすいでしょう。
でも、大人の場合でも、体こそ大きく育っていくことはあま
りないにせよ(あ、メタボにはご注意^^)、「年輪を重ね
る」というように、やはり日々生きているだけで、何がしか
のものをプラスしています。

スキルや体の成長はなくとも、ただのんべんだらりんと生活
していても、息をしているという行為は積み重ねているよう
に1日生きれば1日分の、1秒生きれば1秒分の何がしかを
プラスしていることになる。

ちょうど、ロールプレイングゲームで言う、「経験値」を積
み上げているようなものです。

ただ息をすることに、どういう価値を置くかは、置かない場
合も含めて、人それぞれの判断になりますが、それも1つの
経験値と見れば、立派にゲームは進んでいるということにな
るんじゃないでしょうか。

つまり、放っておいても、人はみな、生きているだけで、
「成長している」存在なのだとも言えるわけです。

だから、あらためて、「成長しなければいけない」とムリを
する必要はないということになります。

ただ、これは、「成長してはいけない」ということではあり
ません。

スキルや経験といった面で成長すれば、それに応じて、楽し
さや豊かさが広がるというのは、確かにあります。

いずれも、「経験値」を上げることそのものだし、それに伴
って得られるものがまた「経験値」を上げてくれる、という
循環になるわけですから。

ですから、何をしても、何をしなくても、(生きているだけ
で)経験値は上げられるし、上がっている、だから、「成長
しなければ」というよりも、「経験値を上げることは楽しい
な」と見るようにするといいんじゃないかと思います。


   
   
   
   
Copyright : Ryo Takashima