こんばんは。
今日、仕事上の必要があり、昔の写真を見ていました。
特に多かったのが、学生時代の写真と最初の会社時代(サラ
リーマン時代)の写真。
どれを見ても、メチャクチャなつかしい。
中には、「これ何のときの写真だっけ?」というものもあり
ますが。
どの写真も、すごく楽しそうに写っています。
もちろん、「アホだな~~~(笑)」というのもたくさん。
でも、どれもいい思い出です。
そして、見ているだけで、なんだか元気が出てくるんです
よ。
楽しい気分になるということもあるんですが、単にそれだけ
とも違う、何か元気のようなものが湧いてくる。
不思議ですね~。
あれは何なのかな?と考えて、浮かんだことがありました。
それは、「自分を認めているから」なんじゃないか?という
こと。
自分の写真、過去の写真を見るということは、「自分を認め
る」ということにつながると思うんです。
写真にも、楽しい思い出の写真もあれば、辛かったころのも
のもあるかもしれません。
気に入った自分の顔が写っているものもあれば、すごく嫌い
な顔で写ってしまったものもあるでしょう。
でも、すべては、「自分が、まぎれもなく生きてきた姿」。
それを見るということ自体、まずは、自分(のこれまで)を
見て留める、つまり、見留めることになるのではないでしょ
うか。
前に、「愛とは、(存在を)認めること」ではないか、とい
う話をしたかと思います。
写真の中の自分を見留めることは、自分という存在を認める
こと。
するとそこに、なんらかのエネルギーが流れる・・・
きっと、そんな作用がはたらいているはず。
まあ、大体、残っている写真というのは、多くの場合、楽し
かったときのものでしょうから、余計にエネルギーが流れや
すいということはあるのでしょうけれど。
ときどき、写真を見て、昔を思い出し、元気を自分の中から
湧きあがらせてみることを、おすすめします。
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